日本の有人宇宙開発の是非について

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日本の有人宇宙開発の是非。
もちろん、行うべきことである。

人類は、常に新しい土地を開拓するのが本能であり、
だからこそ、現生人類は、いままで生き延びてこれたのだ。

新しい土地への好奇心。
それがいま、宇宙へと向かっている。

その先端を行くのはアメリカだ。
アメリカは、人類の好奇心を抽出したような国、といわれるだけあって
フロンティア精神に満ち溢れている。

なぜならば、かつてアメリカという新大陸が発見され、
ヨーロッパの人たちは、ある選択を迫られた。

危険を冒してでも新しい土地(アメリカ大陸)へ移住するチャレンジをするか
安全にヨーロッパに留まるか。

このとき、リスクをとってでも新たなチャレンジをしたい、と思った人たちのみが
アメリカへ渡ったのだ。

そのときにリスクを回避した人たちはヨーロッパに残った。

その子孫たちが、いまのそれぞれの地域に暮らしているわけだが、
ヨーロッパが保守的であるのに対して、
アメリカが常に革新的である、というのは、
当然の結果だと思う。

保守的であることは、決して悪いことではないが、
人類の未来をいち早く手に出来るのは、
この革新的な人たちである。

このアメリカが宇宙開発で世界の先頭を走っているというのも、
当然なのかもしれない。

さて、話を日本にもってくると、
有人宇宙開発、というものに対して、あまり関心がないように思える。

いや、実際は、有人宇宙開発に興味ある人も多いのだが、
全体として、いまいち盛り上がりに欠けるのだ。

中国がすでに有人技術を着々と得ているよこで、
日本は行動を起こせていないのだ。

なぜならば、日本人は、目先の合理性を重要視する傾向にあるからである。

危険な宇宙に人を送るより、ロボットを送ったほうが、効率的ではないか。

といったものである。

しかしながら、宇宙へ人類を送る、というロマン。
人がじかにその場へいって、受けるインスピレーション。
その興奮を国民皆で享受する。

そういった側面こそが、人類、科学の発展において非常に大きいことであり、
それは、細かな合理性を超えて、さらに良い効果を
国に与えることができるのだ。

この部分を政府はもっと考えて欲しい。
国家100年の計で捉えたとき、この決断は非常に重要なものとなる。

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