戦艦武蔵、シブヤン海で発見される!これは大ニュースだ。

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フィリピンの側、シブヤン海で、ついに、あの戦艦武蔵が発見された。

武蔵といっても格闘家の武蔵ではない。
第二次大戦中に、アメリカ軍によって撃沈された、旧日本海軍戦艦の武蔵である。
発見したのは、
マイクロソフトの創業メンバーである、「ポール・アレン氏」だ。
潜水艇を使った調査によって、ついに、あの、歴史上最大の戦艦と呼ばれる武蔵を発見したのだ。
その喜びをかれのTwitterによって公開したところ、瞬く間に全世界を駆け巡る大ニュースとなった。

画像を見ると、船首部分の菊花紋章も見て取れる。
まちがいなく、武蔵だろう。

戦艦武蔵とは、あの有名な戦艦大和の2番艦。

第二次大戦中に活躍したものの、大和より先に、アメリカ軍の航空部隊の集中攻撃によって
沈められたのだ。

満載排水量72,809トン
全長263.0m
全幅38.9m
という巨大なもので、
速力は27.46ノットを記録した戦艦である。

乗員は3,300名。
搭載した主砲の射程距離は40kmだった。

不沈の戦艦と呼ばれた武蔵。
1944年10月24日、
しかし、レイテ沖海戦において、
ウィリアム・ハルゼー提督、マーク・ミッチャー中将率いる3つの空母部隊の総攻撃を受ける。
魚雷20本、爆弾17発、至近弾20発を浴び、さすがの武蔵も、ついに力尽きたのだ。

3300名のうち、生存者は、1000名。
しかし、この1000名は、マニアでの市街戦などに投入された結果
結果、日本に無事に生きて帰れたのはわずか56名だったとされる。

しかし、ここまでの攻撃を浴びながら、沈まなかったというのは、
アメリカを驚愕させた。

そう、結果的に、そのあまりの物量の前に屈した武蔵であったが、
その耐久力は、まさに不沈艦の名にふさわしいものであった。

その秘訣は、日本が開発した、注排水システムにある。

戦艦におって沈まないために重要なもの、それは、艦の左右のバランスの維持である。
艦が左右どちらか片方、に大きく傾いてしまうと、武装が使用できなくなり、速力は落ち、最悪、転覆するなどして、早く沈没することになってしまう。

それに対応するため、まず、船内を細かいブロックで分けた。
そして、意図的に、そのブロックに海水を注水するシステムを作ったのだ。

そうすると、たとえば、船体の左側に魚雷を受けて、海水がなだれ込む。
すると船は左に傾くが、そこで、この注排水システムを使うのだ。
もちろん、左側からは水の排水を試みると同時に、右側のブロックに海水をあえて注水する。
それによって、船の左右の傾きを調整し、常に、船がバランスを崩さず、まっすぐに立つようにコントロールをしたのだ。
もちろん、多少の水を注水しても、浮力を失わないよう、浮力には十分な余裕が持たされていた。

これにはアメリカ軍も手こずった。
いくら魚雷を浴びせても、すぐに傾斜を復元し、高射砲で応戦してくる。

しかし、この持久戦において、空母部隊から絶え間なく攻撃隊を送り続けたことにより、
武蔵の対応限界を超え、ついには沈没へとつながるのである。

ちなみに、この一戦によって学習したアメリカは、その後の、武蔵の同型艦、大和と戦った際には、魚雷を船の片方に集中して浴びせる、という戦い方をした。
それによって、注排水システムは、早い段階で限界を迎え、武蔵にくらべて呆気ないくらい少ない攻撃により撃沈を果たしたのである。

結果的に、航空戦力に破れた、2隻の巨大戦艦。
それは、戦艦の時代が終焉し、航空機の時代の到来をまさに象徴していたのだ。

実は、航空機の時代の到来を最初に感じていたのは、日本であった。

なぜならば、真珠湾攻撃において、日本が史上初めて、
航空機による、艦隊攻撃をいうものを実践してみせたのである。

このようなやり方はアメリカも経験はなかった。
しかし、日本の空母部隊における真珠湾攻撃によって、航空機が主役の時代の幕が空いたと言える。

そして、皮肉にも、その方法の先輩であったの日本が、まさに日本が教えたその方法によって、敗北するのである。

  

戦艦武蔵の画像は、ITメディアニュースで確認できる。 

 

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