「愛が生まれた日」藤谷美和子さんは今現在何を?相方の大内義昭さん死去

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「愛が生まれた日」といえば、藤谷美和子さん。そしてその相方の大内義昭さんだろう。

そして、その相方、大内義昭さんが22日に死去した。
まだ55歳だという。死因は食道がん。
昨年の1月に、がんが発見され、ずっと闘病していたという彼。
2週間ほどまえから容態が悪化していた。

藤谷美和子さん、2015年現在、どのような活動をしているのだろうか?

藤谷美和子さんを知らない人のために、どんな人なのかを紹介する。

簡単なプロフィールとして、
生年月日(誕生日):1963年3月10日
身長162cm 体重不明。
職業は、女優・歌手。

堀越中学校を卒業、東京都立代々木高等学校を経て、「カルビーポテトチップス」のCMで芸能界デビューを果たす。
そして、1978年に学園ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」が大ヒットして一躍有名になった。
さらには、1994年に歌手としてもデビュー。
そう、その作品が、かの有名な「愛が生まれた日」である。

♪愛が生まれた日~そのとーきに~

のフレーズは誰しもが聴いたことがあるだろう。

このデュエットソングが、当時大ヒットした。
カラオケでも定番になったほどである。
誰しもが、カラオケにいくと、この曲をデュエットしていたくらいだ。

その時に、彼女のデュエットの相方が、
今回55歳の若さでこの亡くなった、大内義昭さんなのだ。

そんな彼女。2005年に芸能活動を停止。
いまはどこにも所属していないそうだ。

なぜ芸能活動を停止したのか。

それは演出家の岡村俊一氏との結婚が理由だろう。

芸能界を引退する意向を告げる会見において、
「だって結婚しないと離婚できないでしょ」という不思議な発言をしたことが有名だ。

この結婚相手の岡村俊一は、演劇プロデューサーであり、映画監督でもある。
有名どころでは、「蒲田行進曲」も彼の作品だ。
他にも「つかこうへいダブルス」や「広島に原爆を落とす日」などの演出も彼が行っている。

そして、芸能界を引退した後の、藤谷美和子さん、近年では、フライデーで徘徊騒動の写真画像などが出回ったりと、いろいろ世間を騒がせ、芸能界復帰はないといわれているのだ。
精神疾患が一時期は疑われたほど。
自宅の彼女の最寄り駅に毎日通い、猫に水を掛けたりする姿が目撃されたりしたことかららしい。
(実は、後日、その猫は無くなった知人の猫で、彼女は体を洗ってあげていた)
そんなこんなで色々言われているが、夫の岡村俊一氏は、彼女については
「更年期に伴う心身の不調」と説明している。
そして「離婚はしません」と明言しているのだ。

その後、藤谷美和子さんは、母親と熱海のスナックで働いているとの情報もあり、もし、何かしらの事情が無ければ、いまも、そこで勤務をしているかもしれない。

そんな彼女ではあるが、決して芸能界復帰の意思がないわけではないらしい。
ちゃんと印税が入って自らも納得できる作品なら出たい、と言っているほど。
つまり、意欲はあるのである。
さらには、今は女優よりもデザインであったり、建築や映像関係の仕事をしたい、と言っているらしく、徘徊報道や精神疾患報道に見られることから想像されるようなことは全くなく、非常に前向きに、意欲をもって生きていると言えるだろう。

そして、今回の大内義昭さん死去にも、少なからずショックを受けているだろうと思われる。

今回亡くなった大内義昭さん。こちらは1960年3月14日生まれの歌手であり作曲家でもある。
所属は、アイム・ヒアー。
近年は、北九州の小倉に在住し、「九州アーティスト学院」を開校。
後進の育成にも精を出していた。
「愛が生まれた日」「HOLD ON ME」などで有名。

そんな意欲あふれる彼。それが体調を崩し、わずか55歳の生涯を閉じることになろうとは、誰が想像したであろうか。

彼が罹患した食道がん。
煙草やお酒などが大きいリスク要因になる病気だ。
熱いものや辛いものの日常的摂取や、逆流性食道炎なども原因になりうる。
現代の人であれば、誰しもがそのリスクを抱えていると言える。

大内義昭さんと、藤谷美和子さんのその人生。交わり離れはしたが、それぞれが、それぞれに懸命に生きている。そんなスナップショットを今回のニュースをきっかけに多くの日本人が目にしたのではないだろうか。

 

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